税務論点整理|ケーススタディ

相続開始前に消滅時効が完成していた貸付金は、
相続財産になるのか

長年、督促も返済もないまま放置されていた貸付金。
時効期間はとうに過ぎている、と考えて申告から外したところ、
調査で「相続開始時に債権は存在していた」と指摘される。
結論を分ける鍵は、時効は期間の経過だけでは完成しないという民法の構造にあります。
援用の手続、遡及効で争えるか、そして「実質は贈与だった」という別の道筋まで整理します。

想定するケース

一般化したモデルケースとして整理しています。

  • 被相続人が、生前に貸付けを行っていた
  • 相続開始の時点で、10年以上にわたり返済も督促も一切なかった
  • そのため、相続開始時点で消滅時効は完成していたと考えられる
  • 実際に時効を援用したのは、相続開始よりも後
  • 税務調査で、相続開始時にその貸付金が債権として存在したかどうかが争われている

直感的には「時効で消えた債権に相続税がかかるのはおかしい」と感じる場面です。
ところが民法の構造上、この直感はそのままでは通りません。

結論

1

存在するという扱いになりやすい

時効期間が過ぎただけでは債権は消えません。援用があって初めて確定的に消えます。相続開始時に援用がなければ、債権はまだ存在していたことになります。

2

戦う場所は評価額

存否では押し切られやすい一方、相続したのは「いつでも消される債権」です。額面どおりの価値はないという主張は、時価の土俵で組み立てられます。

3

入口で決着することが多い

そもそも時効が完成していたのか。債務者側の帳簿に借入金が載り続けていれば、それが承認と評価され、時効は更新されていたと判断されます。

なぜ「時効期間が過ぎた」だけでは足りないのか

民法は、時効は当事者が援用しなければ裁判所がこれによって裁判をすることができない、と定めています。
そして最高裁は、時効による債権消滅の効果は時効期間の経過とともに確定的に生ずるものではなく、
時効が援用されたときに初めて確定的に生ずる、と判断しています。

構造

時効期間の経過=援用できる権利が生まれただけ
債権が消えるのは、その権利が行使されたときです。
援用しないまま任意に返済してもらうことも、法律上は可能なままです。

したがって、相続開始の時点では「援用されるかもしれない債権」が財産として存在していた、という整理になります。

ここを誤解すると不利になる

論理が反転する

「長年、督促も返済もなかった」という事実は、納税者に有利には働きません。
裁判所や審判所は、むしろ次のように読んでいます。

  • 債権者が履行を求めていた形跡がないのだから、債務者が倒産に至る危険性は見当たらない
  • 親族からの借入で返済期限の定めもないなら、直ちに返済を求められる可能性は極めて低く、外部金融機関からの借入れより有利な状態にある
  • 返済を催告されるおそれは事実上なかったといえる

請求していないから回収できない、ではなく、
請求されないから債務者は潰れない、という向きで評価されるということです。
長期間の放置を回収不能の根拠として前面に出すと、かえって不利な材料を自ら差し出すことになります。

誰が援用したのかで、課税関係が変わる

時効を援用できるのは債務者の側です。
債権者やその相続人には援用権がありません。

行った行為 法的な評価 課税上の帰結
債務者が「時効を援用する」と通知した 時効の援用 債権者による免除ではないため、株主へのみなし贈与という構成は取りにくい。債務者側には債務消滅益が生じる
相続人が「時効なので請求しない」と伝えた 債務免除と評価されうる 債権は額面で相続財産に計上されたうえで処分したことになる。債務者が同族法人なら、株式の価額増加分について他の株主へのみなし贈与の問題が生じる
実務の要点

「債権を放棄する」「請求しない」という言い方で処理すると、
自ら債務免除の土俵に乗ってしまいます。
債務者の側から、時効を援用する旨の意思表示を出してもらうことが決定的に重要です。
内容証明郵便で到達日を残しておくのが安全です。

やってしまうと援用できなくなること

時効が完成した後に債務者が債務を承認すると、
債権者は「もう時効は援用されない」と期待するのが当然であるから、
信義則上、その債務者はもはや時効を援用できない、というのが判例です。

  • ×決算書や勘定科目内訳明細書に、借入金として計上し続ける
  • ×残高証明書を発行する
  • ×少額でも弁済する、利息を支払う
  • ×返済計画を出す、支払猶予を申し入れる
調査中の事故に注意

調査対応をしている最中に、債務者側で通常どおり決算を組み、
借入金を計上してしまう。
これだけで援用権を失います。
援用による解決を目指すのであれば、真っ先に止める必要があります。

組み立ての順序

  1. そもそも時効は完成していたか貸付けの時期が特定できるか。起算点はいつか。債務者側の帳簿に借入金が計上され続けていなかったか。少額の返済や利息の支払がなかったか。
  2. 存在するとして、時価はいくらか相続したのは援用権が付着した債権であり、瑕疵のない債権と同じ価値ではない。財産の評価に当たっては価額に影響を及ぼすべきすべての事情を考慮する、という原則で争う。
  3. それでも折り合わなければ事後是正援用が現に行われた以上、更正の請求による是正を検討する。使える条文は、法定申告期限からの経過年数によって変わる。

回収不能を理由とする減額規定(財産評価基本通達205)に一本化するのは、
債務者が法人である場合、公表事例を見る限り最も勝率の低い戦い方です。
この規定を使うのであれば、時効の話ではなく、
事業の廃止や6か月以上の休業といった形式基準に乗せられないかを検討する方が現実的です。

実際に援用するときの手順

  1. 出すのは債務者、受け取るのは相続人債権者側から「請求しません」と伝えるのは援用ではありません。債務者の側から意思表示を出してもらいます。
  2. 相続人全員に、個別に届ける貸付金債権は相続開始と同時に法定相続分で当然に分割されます。援用の効果は届いた相手にしか及ばないため、一部の相続人にしか通知していないと、その他の持分は消えません。
  3. 配達証明付きの内容証明で出す効力が生じるのは到達した時です。文面・発送日・到達日の3点を証拠として残します。
  4. 仮定形で書く「債権の存在自体は争うが、仮に存在するとしても、既に時効が完成しているので援用する」という書き方にします。素直に書くと、通知書そのものが債務を認めた証拠に変わります。
  5. 債務者側の申告にも反映させる援用したと主張しながら、債務者側では借入金を計上し続けている、という状態は必ず指摘されます。
書いてはいけないこと

長年返済できず申し訳ない。一部なら支払える。分割でなら応じられる。猶予してほしい。
いずれも債務を認めた(承認した)と評価され、その時点で援用ができなくなります。

債務者が法人の場合は、代表者名義で行います。
決議は法律上必要とされていませんが、取締役会や株主総会の議事録を残しておくと、いつ誰の判断で援用したのかを示す資料になります。
会社が既に清算結了していても、清算の目的の範囲内では存続しているものとみなされるため、相手方が存在しないということにはなりません。

「遡って消えたのだから相続財産ではない」で戦えるか

時効の効力は起算日にさかのぼります。
ならば援用があった以上、相続開始の時点にさかのぼって債権は存在しなかったことになるのではないか。
自然な発想ですが、この主張は正面からは通りにくいのが実情です。

明示的に否定した公表事例がある

「相続による遺産の取得という経済実態に対する課税場面である本件に民法第144条の規定は適用されず、
課税上、所有権の時効取得の効果は遡及しないというべきである」
と述べた裁決があります。
同趣旨の裁判例も複数あり、「まだ答えが出ていない」のではなく「否定した例がある」という状況です。

組み替えると、通る道がある

同じ裁決は、遡及効を否定しながら、結論として評価額を零円としました。
相続開始時に既に時効期間が経過していて、相続人には権利を守る手段がない。
そういう状態の財産を確保しようとすれば、援用する側に時価相当額を払うほかない。
だから財産の価額と払うべき金額が同額になり、結局ゼロになる、という論理です。

貸付金の方が、この理屈は強く働きます。
不動産であれば、時効完成後に譲り受けた人が対抗要件を備えて所有権を確保できる余地があります。
ところが債権では、譲り受けた人も債務者から時効の抗弁を受けます。
誰に売っても価値がない、という点で逃げ道がありません。

債務の側では、相続開始時に既に消滅時効が完成した債務は「確実と認められる債務」に当たらないとして、
債務控除が認められない取扱いになっています。
ただしこれは、控除できる債務は確実なものに限る、という条文上の要件があるためです。
「債務側で消えるなら債権側でも消えるはずだ」とは言えませんが、
「債務側で時効の完成を不確実と見るなら、債権側でも回収の困難さとして評価に反映するのが平仄に合う」という主張には使えます。

別の道筋 ─ 貸付けではなく、贈与だったという構成

契約書もなく、返済期限も定めず、利息もなく、督促もしない。
いわゆる「ある時払いの催促なし」の状態であれば、そもそも貸付けではなく、渡した時点での贈与だったのではないか。
これは時効とは別軸の構成です。

時効の構成 贈与の構成
債権は 発生したが、消滅した そもそも発生していない
立証の負担 相手の事実関係を受け入れたうえで法的評価を争う 贈与という別の事実を、自ら主張・立証する
失敗したとき 貸付金として課税される 贈与時期が近いと認定されると、贈与税と附帯税が上乗せされる

両者は論理的に両立しません。
債権が発生していないという主張と、発生したが消滅したという主張は、同時には成り立たないためです。
主位的主張と予備的主張という関係でのみ併用できます。

調査の場で持ち出すと危ない

「昔の贈与だった」と述べれば、次に来るのは「では何年の贈与か」という問いです。
贈与税の除斥期間は原則6年(申告期限からの起算なので、贈与の日からはおよそ7年3か月)。
その内側と認定されると、贈与税の本税に加えて無申告加算税、さらに延滞税がかかります。
贈与税を全く申告していない状態では、延滞税の計算期間を短縮する特例も使えず、法定納期限から完納日まで全期間に課されます。

債務者が同族法人なら、先に計算する

貸付金が相続財産から消えると、法人側では負債が減ります。
その分だけ純資産が増え、株式の評価額が上がります。
貸付金を消しても株式評価が上がるだけで、相続税の総額がほとんど変わらない、あるいは増えることもあります。
主張を組み立てる前に、貸付金あり・なしの両方で株式評価を計算して比べてください。

債務者が個人であれば、株式評価への跳ね返りがないため、成功したときの効果は大きくなります。
ただし、贈与の時期を「いつ意思表示があったか」で特定するのは困難です。
実際の事例では、通帳や印鑑の管理が移った時期、資金が受贈者自身の目的に使われた時期、受贈者が自分でその所得を申告し始めた時期といった、
支配が移った外形から時期が認定されています。

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